2022年11月3日木曜日

『世界の名著40 キルケゴール』(桝田啓三郎編、中央公論社)

数年前に読書を通じて絶望したことがあった。

『世界の名著40 キルケゴール』(桝田啓三郎編、中央公論社)を読んだ時だ。

秋だったと思う。

私の本棚に積まれていた何十冊かのいつか読む予定の本の中にそれはあった。

多分何らかの本を読んでキルケゴールに興味が出た時にAmazonで1番安くて著作がまとまってる本を探して買ったんだろう。

なんとなしに手に取ってなんとなしに読み始めた。

油断していた。


「官能や懐疑や絶望に悩みとおし、美的に生きるか宗教的に生きるかの「あれか、これか」の決断の前に悩み抜いて、血みどろになったおのれ自らと戦っているキルケゴールを感じ取ることが必要なのである」



中央公論社の世界の名著シリーズの構成は統一されていて、必ず巻頭で取り上げる人物の生涯や思想の概要が編者によって解説される。その多くは情報量を重視した当たり障りのないものである。

だが、桝田啓三郎先生は違った。「キルケゴールの生涯と著作活動」の章立てで語り始めると、概説という導入の段階にもかかわらず、キルケゴール読解に足る覚悟の有無を突きつけてくる。

私は桝田啓三郎先生に恫喝されている感覚に襲われた。

果たしてその先にはただならぬ敬愛によって描き出されたキルケゴールがあり、圧倒された。


キルケゴールの作品は、誠実な自己告白のほかのなにものでもなく、一貫して実存のための自己自身との戦いの記録にほかならない


キルケゴールの思想(著作)は彼自身の人生(日記)と分かち難く一体化しており、それにより相補的に真実性が担保されている。

父の呪い、最愛のレギーネとの訣別、孤独な信仰...。

キルケゴールは生涯コペンハーゲンの片隅でたった1人思索に耽り、紙上で時にさめざめと、時に大声で絶えず泣きながら、また、ひたすら踊り続けた。


キルケゴールの思想は、実存的なものとして、もともと客観的なもの、普遍的なものと関わりがなく、彼自身体系を築こうなどとは思わなかったし、体系の可能性など信じないばかりか、人生の体系化にまっこうから反対したのである


徹底して実存的であるが故に、イロニー的(逆説的)に生きることしかできなかった悲哀。


客観的真理に対して主観的真理はそのために生きそのために死ぬことを願うようなものでなくてはならない


主観的真理への道を進めば必ず世間と乖離する。

それを承知でキルケゴールは主観的真理への道を進みまさに死ぬその時まで「血みどろになったおのれ自らと戦っている」状態だった。


「思想の表現の中に、その思想の主体である具体的な人間キルケゴールを読み取らなければならない」


論理ではないのだ。

キルケゴールの人生がこのような事態になるしかなかった、その故を我々は主体的に捜索しなければならないのだ。

読み進めていくうちにこの本に出会うために今までの私の読書があったという確信がどんどん強まっていった。

そして、章の最後、「死への挑戦」の項における、キルケゴールによるたった一人のキリスト教界との戦いとその後の死に様に胸を衝かれた。


「寸鉄人を刺すような痛烈な批判の警句、火を吐くような激烈な攻撃の文章が、いささかの容赦もない激しさで、そして誤解も曲解も起こる余地のない率直で的確な表現で矢継ぎ早に、しかもしだいに激越さを加えながら発表された。それはキルケゴールの生命を賭しての戦いであった」



「「私は死ぬためにここへきたのだ」キルケゴールは戦いが終わったことを知っていた。

〜中略〜

親友ベーセンとごく僅かな近親しか病床を訪れることを許さず、兄ですら拒んだ。臨終に牧師から聖餐を受けることをも拒んだ彼は、安らかに神に祈れるかと問われて、答えた。「うん、できる。僕はまず、罪の赦しを祈る。すべてが赦されることを祈る。それから、死に臨んで僕が絶望から解放させてもらえるように、それから、これこそ知りたいことだが、死がいつくるかを、少し前に、知らせてもらえるように、僕は祈る」

〜中略〜

1855/11/11夕方、キルケゴールは永遠の眠りについた


呼吸の乱れと心拍の加速を感じながらページをめくりつづけ「キルケゴールの生涯と著作活動」を読み終わった時、キルケゴールと桝田啓三郎先生と私が直列した。

そしてそこから逆説的に絶望が生成された。

私の今後の読書はこの書物の輔弼に留まる...。

生涯最高の書物に出会ってしまった興奮ともうこれ以上はないという絶望。

そもそも「キルケゴールの生涯と著作活動」は最初の100ページ程度で、その後に500ページ以上のキルケゴールの著作が続いているのだが、とてもそれを読む体力も気力も残されていなかった。

呆然としていた。

だが、もやのかかった頭の中で今やるべきことを突然理解した。

ふらつく足取りで家を出ると、私は最寄りのセブンイレブンに吸い込まれた。

コピー機で最初のページにあるキルケゴールの写真を印刷しスマホケースにそっと忍ばせた。

───────────────

あれから何年か経ち、今私の本棚にはキルケゴール関連の著作が数十冊あるが、全く難解で持て余している。


知識を求めるのではなく、著者との対話を通じて人間としての生き方を学ぼうというのでれば、百冊の参考書や解説書を紐解くよりは、どれほど困難であろうとも、一編でも二篇でも作品そのものを根気よく熟読しなくてはいけない」


「キルケゴールの作品はすべて内容解説を読んで梗概を知るだけで理解できるようなものとは、本質的に違うのである」


桝田啓三郎先生はキルケゴール読解のためにデンマーク語を独学習得した。

彼にとってキルケゴールは研究対象ではなかった。キルケゴールの思想と人生が相補的であるように彼の人生そのものとキルケゴールもまた分かち難いものであったのだろう。

今はただただ両者に敬服するばかりである。

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