日程:2018年7月27日~8月2日
場所:中国 青海省 祁連(チーリェン)山脈 崗什卡(ガンシカ)雪峰周辺
参加者:スミ、他7名(日本隊)
日本・中国・韓国の山岳系の活動を行っている学生が登山を通じて交流を図る日中韓3国学生交流登山。今年は日本大学3人、青山学院大学1人、立教大学1人、同志社大学2人と隊長(世話役)でナカヤマさんの計8人で、中国青海省の祁連山脈の崗什卡雪峰における氷河での登山訓練と衛星峰(5005m)の登頂を目指した。
7月26日
西寧にて現地集合のため、参加者各々で安い航空券を探し搭乗。私とウノさんは日本大学のメンバーとほぼ同じ航空便となった。もちろん格安の航空便であるため西寧までの直通便ではない。この日は福州の空港で泊まる。
7月27日
夕方ごろ西寧に到着。空港に車でのお迎えがありホテルまで案内していただく。案内されたホテルは入室と同時にカーテンが自動で開いたり、ガラス張りのシャワーが備え付けられていたりする類のものであり、想像を超えるおもてなしにほおが緩んだ。
夜には日中韓のメンバー揃い踏みで盛大な歓迎パーティーが催された。適当な英語でお茶を濁しつつ国際交流感溢れる雰囲気を楽しむ。
韓国隊の女の子が滅茶苦茶かわいかった。
7月28日
祁連山脈は青海省と甘粛省の境界にある山脈で、チベット高原の北東縁をなす。酒泉県南方にある主峰・祁連山(5547m)をはじめ5000m峰数座を数え、高山地帯には万年雪と氷河の形で水を蓄える。山地から流出する多くの川が、山麓に点々とオアシス集落を成立させる。南麓が「草原のチベット」と言われるアムド地方の北縁であると同時に、モンゴル高原側の北麓には河西回廊があり、さらにその北側に長城が連なる(日本山岳会会報『山』No.880より引用)。
夜明け前にチャーターしたバスへ乗り込み登山口(3800m)へ。標高を上げていくにつれ樹木は周りから消え、岩肌を露出させた山々をバックに羊が草を食む牧歌的な風景が車窓からの眺めを彩る。5時間ほどで登山口に到着した。
ここからは各自荷物を背負って歩くが、大きい荷物は馬が運んでくれた。
ベースとなる小屋まで2時間ほどのアプローチだったが、日本では味わうことができないなんとも大雑把な地形が延々と広がっている風景はかつて訪れたヒマラヤを彷彿とさせるものがあった。このような自然の永遠偉大性は自分が所詮取るに足らない有機物だということを思い出させてくれる。
小屋は非常に立派なものであった。5.60人は余裕で収容できそうな大広間に、二段ベッド完備の寝室、やや清潔なキッチン、朝夕のビュッフェコーナー、お湯ポットなど。しかし、学生は外でテント泊をすることになっていたのであった。
7/29
小屋から見える崗什卡雪峰の麓の氷河約4500m付近で歩行練習を行った。氷河の上は融雪が進んで黒々としており、やけに鳥の死骸が多かった。滞りなく終わったが、滑落停止訓練を行う前に滑ったら数百mは止まらないであろう斜面で歩行練習をするのはいかがなものか。
この日の晩、中国隊のリーダーより最終日(31日)崗什卡雪峰にアタックするため各国2名ずつアタックメンバーを選出するようにとのお達しがあった。事前の計画では崗什卡雪峰の衛星峰に全員で登頂することになっていたので、どの隊も騒然となった。日本隊は一発勝負のじゃんけんで私と立教大学の1人の二人がアタック隊に決まった。
7/30
29日よりも氷河を詰め、4600m付近で滑落停止訓練とFIX通過の練習を行う。FIX通過訓練はコの字型にロープを張って、登高、トラバース、下降の練習を行った。滑落停止訓練では40度くらいの斜面を色々な態勢で何度も滑落し、その度にピッケルで停止した。
昼まで真面目に雪上訓練を行った後、衛星峰(5005m)にアタックを行った。氷河をつないで緩い斜面を登高していき、途中からはクレヴァスの危険回避のためFIXロープを辿っていく。FIXロープは中国隊があらかじめ設置しておいてくれたようだ。最後の50mほどは25度くらいの斜面になり、それを越えると頂上であった。登り始めてから3時間ほどであった。
夕飯後、各国の登山文化について発表する機会があった。日本隊は総じて英語が苦手であり、ひどい発表だったと後に中山さんに苦言を呈された。その上、私の用意した一発ギャグは残念ながら各国の人々に理解していただけなかったようだった。
7/31
表層の雪が凍りついてしまい全てのFIXロープを掘り出すことができなかったこと、落石が頻発していること、午後から天気が崩れること、などを総合して判断し、結局崗什卡雪峰の対面にあるもう一つの衛星峰(4800m)へ全員でアタックすることになった。
途中中国隊の1人が意識を失い痙攣しはじめたため、離脱。高度障害によりここ二、三日調子が良くなかったようだったが、無理してしまったようだ。結局無事だったのだが、かなり心配した。
アイゼン・ピッケルを使用したのは尾根にとりつく直前の氷河を横断する際の300mと、山頂への最後の登りの標高差50mの登高だけであり、ほとんどはガレた岩場歩きであった。
下降中、予報通り雨が降り出す。特に下山の際の少し増水した川の渡渉が今回の中国での遠征で最も手を焼いた。韓国隊のかわいい女の子たちも雨やら渡渉やらで全身濡れてしまって大変そうであった。
8/1
小屋から1時間ほどであっけなく下山。
夜には打ち上げパーティーが盛大に行われた。各国何か催すことを課される。私は日中韓の合同グループでPSYのカンナムスタイルを踊り、日本隊としてはちょっとした時代劇を行った。特に時代劇はなかなかウケが良かった。一方、青山学院大学の奴が私や他の日本隊を出し抜いて韓国隊のかわいい女の子と踊りだした時は正直ショックだった。
レストランでの飲み会後、ホテルで学生だけの二次会が開かれた。トランプなどで盛り上がり、最後の最後で韓国隊のかわいい女の子から頬にキスをいただいた。
8/2
日本に帰国。
結果として、4800mと5005mの2つの衛星峰に登頂することができ、充実した7日間となった。また山登りを通じて国際交流を行うという点においても、非常に有意義な時間だった。苦しい登山の時間を共有し、1日の終わりには小屋の中で夕飯を食べながら苦労をお互いに労い、下界では酒を飲んでバカ騒ぎする。この過程において言葉の壁は感じざるを得なかったが、国籍の壁は感じなかった。貴重な体験だった。
最後に、今回ヘルニアを押して隊長を務めてくださったナカヤマさん、本当にありがとうございました。