2022年1月16日日曜日

指宿沿岸単独ハンモック年越

 スミ

12/29-1/2


年末の鹿児島中央駅付近に────

赤い60Lマカルーを背負った挙動不審な男がいたはずだ。


真顔と薄笑いの反復横跳び。


あるいはノイローゼ。


そう、その男は2021年初冬から慢性的な抑鬱症状を患っていた。


彼は探していたのだ。

自己同一性のど真ん中に穿たれた虚空と、等量の何かを。


だから鹿児島へ来た。


それなのに──────。




底の抜けたヤカンにいくら水を注いでもちっとも水はたまらない。

ただ、通過していくだけだ。


同じように。


胸の真ん中のぽっかり空いた穴にいくらエモい情報や体験を注いでも、それはただの情報として通り過ぎていくだけだった。

かつてそこから発露されていた感情。

私はどこへ置いてきてしまったのだろう。







自我が収縮していく。

ウニの体のように闊達で鋭敏だった感性が、のっぺりした球体になる。

絶えず同調を要求された。

必死に笑った。

削られたなあ。

主体性は死んだ。

いや、自らの手でなぶり殺しにした。





怒り、悲しみ、喜び、哀切、嫉妬、憎悪、愛、狂気、────美しい。

もう、俺には何もない。




「動機を下さい」


いま私の願いごとが

かなうならば動機がほしい

この背中に鳥のように

白い動機つけてください

この大空に動機をひろげ

飛んで行きたいよ

悲しみのない自由な空へ

動機はためかせ

行きたい


いま富とか名誉ならば

いらないけど動機がほしい

子どものとき夢みたこと

今も同じ夢に見ている

この大空に動機をひろげ

飛んで行きたいよ

悲しみのない自由な空へ

動機はためかせ

この大空に動機をひろげ

飛んで行きたいよ

悲しみのない自由な空へ

動機はためかせ

行きたい