2021年12月19日日曜日

阿寺渓谷の大沢大滝を登った

 2021/10/17

コサカ、アカホリ、スミ


こんばんは。

今日は現代社会において、典型的サラリーマンとして生きていくことが苦手な人が、典型的なサラリーマンとして生きていくために必要な心構えについて書きたいと思います。

結論から申し上げますと、それは、“生殺しにされる覚悟”です。

『サピエンス全史』に書かれているように、人間は狩猟採集から農耕へと移行する際に、ある契約を結びました。

「個の幸せを放棄する代わりに、種の繁栄を賜りますよう」

こうして、人々は家畜と農作物を奴隷化し、繁栄したかに見えました。

しかし、その実、種の繁栄という観点で言えば、人々は農作物と家畜の繁栄のために奴隷化されたとも言えるのでした。

人間はその過程で、種の繁栄のために個を捧げる精神=自己家畜化された個人が尊ばれ、その形質が選択され続けました。

ちょうど猪を豚に家畜化したように(人為的に)、人間も穏やかで調和を重んじる方向に家畜化されていきました(勝手に)。

その結果、個としてではなくシステムの一部としての個人がますます先鋭化していき、社会もそれに親和的な構造になっていきました。

何が言いたいかというと、

「俺は社畜じゃねえ、自畜だ」

社会は何も強制しません。

論理的に考えれば有給を20日連続で使えます。

法律で決まっているからです。

私は今すぐ会社をばっくれて沖縄に行くことができます。

おそらく1日かからないでしょう。

しかし、私はそれができないのです。

社会はただふんわりとそこに存在し、微弱な生権力を放ちます。

すると個人は勝手に自己家畜化し、あっという間に従順な自(己家)畜になるのです。

社会はいつだって優しい。

罰則規定はありません。

何も強制されていません。

社会は漠然とした風潮としてそこにあるだけ。

それが放つ存在感を私自身が勝手に解釈して私自身を律動させるのです。

結局、自作自演なんだと思います。

とはいえ!

種の繁栄のためには抗えません。

すなわち、喜んで全面降伏です。

耳を澄ませば聞こえてきます。

とてもありがたく尊い、ひたすら生きることへの絶対肯定が基調となって流れるメロディ。

このオーケストラでは“決死の覚悟”などというものは不協和音を生み出す害悪です。ブブゼラです。

おや、聖歌隊も出てきて歌いはじめました。

「正しく長く大事に生き抜くぞ!今が苦しくても未来があるぞ!未来のために今が辛くても耐えるんだ!」

なんて美しい。







激闘!イグルー教室!

 2021/12/11-12

ヨネヤマ先生、その他多数


ンー!

オイラ、イグルー大好きイグルー坊や!

3度の飯よりイグルーが好きなんだい!

オイラのイグルーを喰らえ!





2021年10月16日土曜日

「ダブルこんにちは」について

 2021/9/18

すみ、サカイ


我々「この中でクロックスで登頂するのヒヨってるやついる!?いねえよなぁ!!」

小学生「ダブルこんにちは」

我々「(こいつ、できるっ...!)」







2021年10月14日木曜日

尊いファル・ニエンテ

 2021/10/10

すみ


私は湖上にいた。

中学生だろうか、つるんで自転車を押しながら笑っている。

左手の河原では白シャツのおじさんが体操をしている。

水鳥が突然飛び立つ。

雲も太陽も何に追われるでもなく、忙しなく動いている。

水面は穏やかだが、覗き込む水底の植物はそこが静寂ではないことを主張している。

ふと摩訶不思議な香りが鼻腔をくすぐり、だがその香りの正体はわからない。

大きなあぶくが水底から湧いてきて、ぽこんという音を目で聴く。

風がしょっちゅう私をつついてきて退屈を許さない。

私はこの世界のあまりの積極性に、ただただ呆然としていた。



2021年9月9日木曜日

あの夏の日のメモワール

イワデ、サカイ、スミ

2021/8/11-12







yoyoyo


来たぜ

石川県は能登半島

ここは七尾

イケてるやつが集う場所


釣りにカヤック、キャンプにスウィーツ

こいつらぜんぶここにある


hey-ho 

hey-ho

右か左か或いは上か

(まさか)

後ろか前かそれとも下か

(それでも)

見つからねえよ不織布マスク!(wow)


hi-ho

hi-ho


こんなやつがいるらしい

噂によるとこんなやつ

上着は黄色いアロハシャツ

温泉タオルを顔に巻き

「いやこれマスクやろ」

なんて言い張るそんなやつ


宝箱みたいなショーケース

Googleレビューは4.0

すっげえおしゃれなその店に

噂のアイツがやってきた

バナナ柄のアロハシャツ

タリバン風の布マスク

「ケーキを下さいおいしいおいしいケーキを下さい」


半笑いのお姉さん

スウィーツ店のお姉さん

ケーキを欲しがるアイツに一言

「マスクを着用していない方は入店できません」

流石のアイツも黙って買い取り

不織布マスクを黙って買い取り

現金一括50


現金一括50


現金一括50


現金一括50


...

2021年8月1日日曜日

おっきい滝、みつけたあっ!

 2021/07/24

スミ、サカイ


お、お、おっきいいいいい(((o(*゚▽゚*)o)))

しかもかぶってるのおおおおおお*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*





発見!幻の大滝ランド!


 2021/07/23

スミ、サカイ


フ、ウ、フウワァァ〜(°▽°)

コレが幻の大滝ランド...(°▽°)









エコ大滝登攀のすゝめ 〜大滝登攀は残置回収まで〜

 2021/07/22

スミ、サカイ





オッス!

オラ人間生命!


せっかくの4連休だから長大な沢登りに行くって?

オメェ馬鹿いってんじゃねぇぞ!

いいからエコ大滝登攀すっぞ!


〜回収成果〜

敗退残置(トーテムカム×2、カラビナ×2.、スリング×2)

C4カム赤×1

カラビナ×2

ドローン×1


最初の敗退時に3P目途中に残置したサカイさんのトーテムカムたち。

コイツらはマイクロながら俺の墜落も止めてくれた優秀なブラゼェ(ブラザー)だ。

1ヶ月近く澗満滝で修行を積んだコイツらは見違えるほど変色していて、ナメック星人みたいになってやがる。

どんだけ強くなってやがんだ。

早くオメェたちの修行の成果が見てぇぞ!


2P目の水流横断の際に吹っ飛ばされたカラビナ2枚。

見つかるわけねェと思ってたのにオメェたちはひょっこり戻ってきたよな。

へへ。

少しはやるようになったみてぇだな。

オラわくわくすっぞ!


5P目のリードをしていたサカイさんがヤケクソになって落としたオラのC4カム赤。

オメェはいっつもオラのギアラックにしがみついてぶるぶる震えるばっかりだったよな。

だけど、今回50m以上落下した上に5日間放置されたオメェ、顔つき変わってんぞ

今のオメェならフレアしたクラックで10mくらいフォールしても止めてくれそうだな!


澗満滝右壁に激突して墜落したドローン。

オメェには20万円というタカバヤシさんの全財産が宿ってるよな。

だけどオメェはいままでそれに甘えてたよ。

だけど今のオメェは違う。

カメラもプロペラも失ったけど、オメェ、前よりもかっこいいじゃねぇか

知ってっか?

伊達政宗って隻眼だったんだぜ?

撮影能力も飛行能力も無くしたオメェのその喪失の向こう側、楽しみにしてっぞ!


どいつもこいつも今回の登攀でしっかり経験つんでひとまわりもふたまわりも逞しくなってやがる。

これからもよろしくなっ!

澗満滝を登った


























 1


「なんていうか簡単に他人に迎合しないところが好きだったよ」

彼女は言った。

「ありがとう、ばいばい」

そう付け加えて、彼女は私の人生から去っていった。


2


自己欺瞞のないように生きてきたつもりだ。

だからこそ、彼女の不在が苦しかった。

言い訳ができない。

取り繕うことすらままならない。

心から関係を深めていきたいと切望する人、一緒に居続けたい人、大好きな人に私の本当を拒絶されてしまったら、どうすれば良いのだろう。

迷いと、虚無と、行き場のない愛の残滓と。

私は内側に渦巻く悲観の混沌に従順であることしかできなかった。


3


なぜ澗満滝を登ったのか。

なぜ澗満滝でなければならなかったのか。

大いなる不確かな存在の内側に潜り込んで、滅茶苦茶にされた挙句、死亡寸前で生還したかったのだろうか。

違う。

いや、違わないかもしれない。

彼女の不在がもたらした心の荒野に蜃気楼を思わせる朧げな像として澗満滝が浮かび上がってきて、それは近づけば遠ざかり、遠ざかると近づいてきた。

ある夜、私は幼子がそうであるように、あらゆるものが捨象されて、まっすぐにその蜃気楼へと手を伸ばしていた。


4


鑑賞対象としての澗満滝は美しい滝だ。

その滝身は白と黒の間を行き来していて周りは緑に彩られている。同時に高く垂直に激しく屹立していて、そして、そこに一条というにはあまりにも散漫に水を垂れ流している。

すなわち、鑑賞対象としての澗満滝に宿る美しさ、それは貞淑さと聡明さを備えた天真爛漫な学級委員長である。運動神経も抜群かもしれない。

わかりやすく魅力的でありながら他を寄せ付けない高潔さも具備していて、一切が調和している。


だが、登攀対象としての澗満滝は美しく在ると同時に極めて困難な滝でもある。

107mという大きさ、岩の強烈な脆さ、傾斜の強さ、水量の多さ、情報の乏しさなどにより登攀の不確実性が著しく上がることが理由として挙げられる。

つまり、登攀対象としての澗満滝に、私が見るのは、ざんばら髪を振り乱しながら狂乱の笑いを撒き散らす老婆だ。

それは、醜態であり、不協和音であり、踏切遮断機によって離れ離れになった親子であり、北極星のない星空でもある。


5


澗満滝へは合計6回訪れたことになる。

1回目は鑑賞のため、2回目は登攀の偵察のため、3.4.5回目は登攀のため、6回目は残地物の回収のため。

3回目以降は大滝登攀の先端であるサカイさんと共に澗満滝を訪れ、5回目には撮影担当としてサカイさんの幼馴染であるタカバヤシさんが来てくれた。


6


2021620


3回目の来訪時、私とサカイさんは澗満滝の登攀を試みた。


1P

中学生の頃。

学年一の不良だったOと敵対した私は、昼休みの教室で顔面を殴打された。

私は教室の隅で崩れ落ち、殴打された左眼を手で押さえてただただOを睨みつけることしかできなかった。

凍りついた教室。

「ちょっといい加減にしなよO君!

その静寂の帳を破ったのは彼女だった。

時間は再び動き出し、彼女がOと睨み合っている横を通って、私はなす術もなく保健室へと連れていかれた。

あの時からだった気がする。

私にとって彼女の存在が取り返しのつかないほど大きな意味を持つようになったのは。

それは、命に関わる一目惚れだった。


2p目

中学生の頃。

バドミントン部だった私とバレー部だった彼女は同じ体育館で練習をしていた。

私の部活が緩かったこととは対照的に、彼女の部活はとても厳しく、体育館にはいつもバレー部顧問の怒号が響いていた。

ある日の部活中に体育館裏の水道へ行くと彼女がうずくまって泣いていた。

ぎょっとしたものの何も見てないフリをして立ち去ろうとした時、彼女が言った。

「誰にもいわないでよ!」

何と返せば良いかわからなかった。

当時の私の精一杯は、

「だから気づかないフリしたじゃん!」

と言って、走り去ることだった。


3P

高校生の頃。

私と彼女は別々の高校に進学したが、通学時の最寄駅は同じで、乗る電車の時間も同じことがしばしばあった。

私はいつも駅に着くと彼女の高校の制服である青いワイシャツを探していた。

そして、彼女の後ろ姿を見て何度話しかけようとしただろう。

今思えば本当になんてことないことだ。

だが、当時の私には終ぞそれが出来なかった。挨拶さえも。

頭の中で何回も喋りかける予行演習をして、でも現実では何も出来なくて、苦悩して、次こそはと決意する。

その繰り返しだった。


3P目の登攀で墜落した私はロープにぶらさがりながら墜落地点を仰ぎ、睨みつけていた。

左手で保持していた巨大な岩が体重をかけた瞬間に大きく動き、その連鎖反応で足場が崩壊して墜落した。

直前に極めたプロテクションで墜落は止まったものの、落石によってロープの外皮は破断し、墜落を止めたスリングはほとんど切れていた。

「もう一回トライしていいっすか?」

確保してくれているサカイさんに聞くと、複雑な表情を浮かべながらも同意してくれた。

ロープの外皮が破断した部分10m程度を切断して結び直し、トライを続行する。

だが、墜落地点の上部の岩の状態はあまりにも不安定であり、登攀を継続することにより先の墜落時と同等以上の崩壊を招く危険性が高いことは明白だった。

結局私たちはその地点から下降した。


私たちはこの日、澗満滝を登ることができなかった。


7


2021717

私とサカイさんは再び澗満滝の登攀を試みた。

このときは撮影担当としてタカバヤシさんも来てくれた。


1P

大学生の頃。

成人式で会った彼女は私の懸念を遥か凌駕しており、衝撃そのものだった。

それによって私の中には、完璧に操作不可能などうしようも無い彼女への愛情、凄まじい暴風域を伴った台風、いや、地球を滅亡へと導く超巨大隕石とでもいうべき感情が同時多発的に発生し、頭の中が木っ端微塵になった。


2P目

大学生の頃。

初めて彼女と私の2人きりで食事に行った。

夢か現か判断つかない感覚で、ずっとくらくらしていた。

帰り道、駅へ向かう途中、私はあたかもこの世界で最も自然な現象の一つであるかのように彼女の手を握った。

彼女は教科書に載せたいくらい模範的な驚愕の表情を浮かべたのち、まっすぐ前を向いて何も喋らなくなった。

私も何も喋れなかった。

「切符買わなきゃ」

券売機の前に来て、彼女は独り言のように言った。

彼女があの時に私の手を握り返してくれていたかどうかは、もう忘れてしまった。


3P

大学生の頃。

下宿先へ高速バスで帰る際に、乗車場所のサービスエリアまで彼女が車で送ってくれた。3月の夜はまだ随分と寒さが残っており、バスが来るまでの間、2人で車内に居た。

手を繋いで、口数はお互いに少なかった。

夜景がよく見える駐車場だった。

彼女はその時ピンク色のモコモコした生地の上着を着ていて、それを思い返す度になぜか少し笑える。


4P

2人でもんじゃ焼きを食べに行ったこともあったな。

ただただ、楽しかった。

そして、愛おしかった。

だけど、愚かだった。今も。


5P

「結婚を前提に付き合ってる人がいるんだよね」

或いは、なんてことないことのような、今日の天気についてのような、そんな話ぶりだったかもしれない。

私にしたってこの報告は別に青天の霹靂だったわけではない。

そうだったはず。

だが、恥も外聞もなく、情けなく、みっともなく、私は全てを告白した。後出しで。

ここまで面の皮の厚い人間だったのだ私は。

そして、彼女は審判を下した。


6P目

「なんていうか簡単に他人に迎合しないところが好きだったよ」

彼女はそう言ってくれた。

「ありがとう、ばいばい」

最後の言葉の残響が、鳴り止まない。


2100

私とサカイさんは澗満滝の落口にいた。


5回目の来訪で、私たちは澗満滝を完登した。


8


澗満滝を登る前、友人からこんなことを言われた。

"あの時の私は、あの時の私でしかあり得なかったという苦しみが、今のお前を苦しめているんだな」


"あの時の私は、あの時の私でしかあり得なかった"

今の私が、今の私でしかありえないように。

そこに、後悔も仮定も入り込む余地はない。


ならば、この苦しみにどのような解釈を与えれば良いのだろう。

過去は不可塑なのに、私の過去は私を形作る全てなのに、私は今、私の過去そのものが苦しい。


9


澗満滝を登って気づいたことがある。

この滝は一定ではない。

一見堂々たる威容を誇り整然として充実しているにも関わらず、その実、とても不安定で止めどなく、どうしようもなく崩壊し続けている。

つまり、澗満滝は崩壊によりいずれ全ての落差を失い、その存在は滅亡する。

流れ続ける水も、触れただけで落ちる岩も、澗満滝が変化し続ける有限な存在であることの証左だ。

そして、今この瞬間も自身の滅亡に向けて変化し続けている。

絶えず変化し続けるということは、絶えず滅び続けているということでもあるのではないか。


この気づきを私に敷衍するなら、生きるということは絶えず死という結末に向かって変化し続けるということであり、死ぬということは一定になるということであると言えるはずだ。


そうであるならば、私自身が生きている以上、一定であるものなんて何一つない。

毎分毎秒私の身体も心も全て変容し続け、更新され続ける。

これは、今私が抱えている苦しみにだって適用できる。


過去は確定した事実であり変容しないが、苦しみの根源は過去という事実に対する解釈だ。

私は今、私自身の過去に対して苦しみという解釈を与え続けている。

そして、この苦しみはこの先和らぐ保証はないし、和らがない保証もまた、ない。

だが、今のこの苦しみが永劫続かない保証はある。

それは澗満滝の存在が有限であるように、私の生もまた限られているからだ。

だからこそ、生きるということは、滅びるということは、怖いことだが、愛おしいことでもあるのだ。


問い続けるしかない。

だが、永劫続くかのようなこの苦しみさえ、絶えず私とともに変化し続け、そして私とともに滅びゆく。

それは、今の私にとっては救済であるように思える。



2021年6月13日日曜日

狩場偵察③

2021/06/06

スミ


良さげなポイントを複数発見(^^)/

グ..グ.グ...グッドだーーー!!d(^_^o)